猫を送る
40代にして人生ではじめて、ペットの猫を看取りました。
普段は弟が世話をしてて、私や家族は時々弟の家に行き可愛がるといったお気楽な立場でした。
年末年始、私は多忙でしばらく行ってなかったのですが、急激に猫が痩せて具合が悪そうだと聞いていました。
その後、動物病院で検査したところ、ねこ免疫不全ウイルスに侵されており、かなり病気が進んでいると判明。
発症すると対症療法しかないということで、なるべくストレスを与えないように見守ることしかできませんでした。
もともと野良猫の子でしたので、外にも出てました。まわりは山の多い田舎です。
ここ数年は庭より外へ行くことはあまりなかったようで、ウイルスを保持してしまう原因となった出来事(おそらくケンカ)があったのはだいぶ昔だろうと思います。
発症するまでの潜伏期間がすごく長かったのでしょう。
もう治らないとわかってから、毎日悲しくて泣いていました。なんであの子が・・・と。
予防につながることをなんでもっと早くからできなかったんだろうかと。
病院に行ってから約1か月後、痩せてすっかり小さな体となって旅立ちました。
私も家族も、看取ることができました。
前日まで私はメソメソ泣いていたのに、不思議なことにその日は朝から心がおちついていました。
たくさん泣いて思い悩んで、送る覚悟ができたのだと思います。
亡くなった事実が悲しくて涙は出たけど、前日までのように感情的にはなりませんでした。
やっと痛み苦しみから解放されてよかったね、もう自由だね、という気持ちにシフトしていきました。
私たち家族にはもう姿がみえないけれど、きっとまた天気のいい日には庭のお気に入りの場所で日向ぼっこをするんだと思います。
どうか私たち家族を、これからずっと見守っていてほしい。
私たちのもとに来てくれて、ありがとう。
普段は弟が世話をしてて、私や家族は時々弟の家に行き可愛がるといったお気楽な立場でした。
年末年始、私は多忙でしばらく行ってなかったのですが、急激に猫が痩せて具合が悪そうだと聞いていました。
その後、動物病院で検査したところ、ねこ免疫不全ウイルスに侵されており、かなり病気が進んでいると判明。
発症すると対症療法しかないということで、なるべくストレスを与えないように見守ることしかできませんでした。
もともと野良猫の子でしたので、外にも出てました。まわりは山の多い田舎です。
ここ数年は庭より外へ行くことはあまりなかったようで、ウイルスを保持してしまう原因となった出来事(おそらくケンカ)があったのはだいぶ昔だろうと思います。
発症するまでの潜伏期間がすごく長かったのでしょう。
もう治らないとわかってから、毎日悲しくて泣いていました。なんであの子が・・・と。
予防につながることをなんでもっと早くからできなかったんだろうかと。
病院に行ってから約1か月後、痩せてすっかり小さな体となって旅立ちました。
私も家族も、看取ることができました。
前日まで私はメソメソ泣いていたのに、不思議なことにその日は朝から心がおちついていました。
たくさん泣いて思い悩んで、送る覚悟ができたのだと思います。
亡くなった事実が悲しくて涙は出たけど、前日までのように感情的にはなりませんでした。
やっと痛み苦しみから解放されてよかったね、もう自由だね、という気持ちにシフトしていきました。
私たち家族にはもう姿がみえないけれど、きっとまた天気のいい日には庭のお気に入りの場所で日向ぼっこをするんだと思います。
どうか私たち家族を、これからずっと見守っていてほしい。
私たちのもとに来てくれて、ありがとう。
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